- みんな誰かのかわいい子
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2020.06.04 Thursday
本日小学算国、中2、高校生。
学校の休校期間で考えていたことはいろいろある。そのうちのひとつの話をしたい。
息子と毎日これだけ一緒に過ごしたのも、小学生になってからは初めてだ。
別の角度から言えば、息子は学校から長期間切り離されていたことになる。
この休校期間が彼には大いなるリフレッシュ期間になったようで、それは彼にとっては良かったのかもしれない。
昨年度の学校生活はかなりしんどかったようで、いつもくたびれた感じで過ごしていた。
学校に行きたがらない日も少なくなかった。
私たち親にとってもきつい日々だったことは事実で、毎日小学校の宿題やら何やらの圧力に押しつぶされそうだった。
学校には何回か意見を申し述べたが、担任にも、それから管理職の方々にも、こちらの意図することは理解していただけなかった。
意見を伝えたことのいくつかは改善されないまま今年度も引き続いている。
教師の影響力というのは、この仕事をしていて頭ではわかっていたつもりだったが、ここまで破壊力があるとは思っていなかった。
力量に欠ける教師にあたってしまったとき、子どもが受けるマイナスの影響はそれなりに大きいものになることを痛感した。
親である自分たちがしっかりしていればなんとかなると思っていても、なかなかどうして、学校という場のもつ力は相当なものなのだろう。
担任の当たり外れなんてそんなことは言うべきではないと思っていたのだが、言わざるを得ないケースもあると認識が変わったのも事実だ。
親に対して口にすることと、実際に生徒に対する態度の差が大きいようだと、こちらの信頼度はかなり低下する。
うちの息子の場合は、小学1年生のときの担任にもそういうケースが少なからず見られたが、昨年度の場合はかなりひどく感じたものだ。
下手をすれば、いじめなどを引き起こしかねない対応も見られたし、理不尽な圧力をかけて生徒をコントロールしようとするのはいただけない対応に感じられた。
難しいなと思う。
実際には私も気が短いほうなので、怒鳴るなどして怒りを全面にだして対応することも多かった。
しかし、自分の子が小学生になってからしばらく経って感じたのは結局、生徒というのは「みんな誰かのかわいい子」なのだということだ。
そんなことは当たり前と言うかも知れないが、仕事として生徒に対していると失われがちな感覚なのだ。
親がいて子がある。それぞれの子にはそれぞれの家庭がある。
理不尽な圧力によって自分の子をコントロールするような大人がいれば、間違いなくその大人を信頼できなくなる。
かわいい我が子を差別的な扱いにさらすような大人がいれば、間違いなく抗議の声を上げる。
そんなことすら本当の意味でわかっていなかった自分の未熟さを痛感したのだった。
自分自身を貫くナイフは刃先が自分に向いていなければならない。
この休校期間中に何度考え直したことだろう。いままで口でだけ格好つけていたのではないか。理不尽な対応をしているわりにそれを厳しさと勘違いしていなかったか。
みんな誰かのかわいい子。
だからこそ、厳しく指導にあたることもある。本気で指導にあたるのは当然のことだ。
それでも、ご家族の持つ愛情にはかなわない。
- 夜の終わりに
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2020.05.30 Saturday
5月も終わる。
例年なら、定期テスト対策で忙しい時期だ。
各小中学校、そして高校も授業が来週から少しずつ始まるということで、塾も長い特別運営期間に区切りをつけ、通常運営の態勢に戻る予定でいる。
もちろんすべてが以前と同じように戻るはずもない。
この特別運営期間でいろいろ変えたこともある。変えなかったこともある。
ただ、そのすべてが良い変化だったかどうかまでは正直言ってわからない。
生徒たちにとってもそうだろう。
ひとつひとつ頑張って取り組んでくれた生徒もいる一方で、どうも良くない方向へ向かってしまった生徒がいるのも事実だ。
それでもまた教室での授業へ戻ることで、生徒たちの取り組みがいい方向へ進むようにしたい。
個人的なことを言えば、この数か月間、あふれる前向きな言葉とその一方であおられる危機感とのありように辟易してしまっていて、精神的にかなりきつかった。
同時に存在する煽る言葉と前向きな言葉に、ものすごく矛盾を感じ、むなしさを感じ、つらさを感じた。
それでも明日は来る。明けない夜はない。
そういう言葉すら、自分でも口にしたような言葉ですら、嫌気を感じる始末だった。
まあいい。
自分の生き方は、自分の生きる道にしか存在し得ない。私は他人ではない。そして他人は私ではない。
この塾でしかできないことを、私はこの期間にやってきたと言い切る。
それが他の塾から見て時代遅れで不格好なものだとしても。
- そこで何を思う
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2020.05.01 Friday
この一ヶ月、おそらく皆さんも同じだろうが、ひたすら走り続けた感じだ。
体感としては一ヶ月よりも長い時間が経った気がする。
しかも重苦しい時間が。
自分の塾には自分の判断があり、この塾として何を考えどう行動するかは、うちの塾にしか答がないはず。
しかもその答は絶対的な正解ではなく、しかも正解のないところであがいて正解らしきものを求めようとして苦しんでしまう。
ときに行動が善とされ、ときに沈思が善とされ、激しく動く時代に求められるものを皆がもっともらしく主張する。
どこに自分を置き、どこで自分は生きていくのか。
また新しいひと月が始まる。
このひと月が終わる頃には世の中がどうなっているのか、誰にもわからないはずだし、もちろん自分にもわからない。
いつまでも綱渡りをしているわけにもいかない。
誠実に、フェアに。
岡島学習塾の根本となる価値観を軸に生きていく。
We Shall Overcome (Live In Dublin) Bruce Springsteen with the Sessions Band
- もりもり解く日
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2019.07.27 Saturday
本日中1、高校生。夏期講習は中1・2のターム5。
中1英語は教科書の音読から入ってワークでの問題演習。
各自もりもり問題を解きすすめていく。
間違えた問題は正しい英文をノートに書いて練習する習慣がついてきた。
今日はさらにその練習を工夫するように話した。
機械的に回数を決めて練習するのではなく、ここは多めに、ここは1回書いて確認すればいい、こっちは英文を書き出した後に単語だけピンポイントで覚え直そう、など自分でどうすればいいかを考えて勉強できるようにしてほしいということだ。
疑問文の応答の問題なのに、答の英文だけ練習しても何も活きてこない。
また、もうひとつのポイントとして、答えに納得させられてないか、ということも話した。
解答にこう書いてあるから、というだけで答を鵜呑みにしているだけでは勉強にならない。
どうしてこういう答になるのか、ここはどういうことなのか、と自分から考えたり理解を深めたりすることが自分の勉強になる。
理解の伴う暗記や反復をしていかないと、勉強がただの作業に成り下がってしまう。
折しも夏期講習でeトレのプリント学習を進める時期だ。
たくさん問題を解いてプリントの厚みに喜ぶだけでなく、そこから自分で何を学ぶのか、どうやって勉強を進めていくのか、自分の頭で考え、そして工夫して学習を進めてほしい。
勉強の質を高めない限り、いくら量をこなしても身につくものが少なくなってしまう。
勉強への取り組み方を学び、日々の学習に活かしてほしい。
次回は基本文テストを実施してから次へ進む予定。
- 20年
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2019.07.06 Saturday
今日は死んだ父、つまり先代の塾長の命日だ。
父が亡くなったのはちょうど20年前、1999年7月6日のことだった。
いろいろなことがあった。
良いことも悪いことも、ほんとうにたくさん。
右も左もわからぬ若造が突然塾を引き継ぎ、嵐のような日々の中でもまれにもまれてキツイ時期を過ごした。
信じられる人と信じられない人の境目も痛感してきた。ガキだった自分が大人のずるさに参ってしまったことも一度や二度ではない。失った物もたくさんある。
そんなぼんくらの若蔵も、いつしかしがないおっさんになってしまった。
それでもここまでやってこられたのは、この塾に通ってくれた生徒たち、今も通ってくれている生徒たち、そしてその生徒たちのご家族の皆さん、さらに働いてくれた(今はもういない)スタッフたちのおかげというよりほかない。
これにはもう、感謝してもしきれない。
ここ数年は、卒塾生のお子さん、そして自分の教え子のお子さんも塾にやってくるようになった。
伝統というには短いのかも知れないが、積み重ねた歴史の重みを感じる。
奇しくも自分の息子が今年小学3年になり、この塾で学び始めた。
この塾の誕生の瞬間というのは実は記録が残っておらず、確かなことはわかっていない。自分自身の記憶では、私が小学2年生か3年生のころから始まったはずだ。
今は作業の道具をしまっている小さなプレハブから始まった。
最初は生徒が集まらず、苦労したと聞いている。
そんな時期から続くこの塾も、およそ40年ほどの歴史を積み重ねてきた。
自分でも不思議な感じだが、いつのまにか私が引き継いでからのほうが長くなっていく。
いろいろな面で、今も苦労は絶えず、また勉強不足の自分ではあるが、誠実に、そしてフェアに、仕事に取り組んでいく。
- 高等部の塾のしおりの裏の言葉
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2019.01.06 Sunday
小・中学部の塾のしおりの裏に書いてある言葉の話は、かなり前に記事にしたことがある。(こちら)
一方、高等部のしおりの裏にも、気に入っていることばを載せてある。
ラテン語だ。
意味は、「賢者が己に打ち勝つ時、彼は少しも征服されていない」「それゆえ、自由に向かって出発すべきである」というもの。
高等部のしおりの本文にも書いてあるが、高等部では塾生の「自立」と「自律」を目指し、また根本の価値観として日々運営している。
その価値観を表していることばだと考えている。
これらの箴言を岡島学習塾の高校生たちがどのようにとらえ、成長していくのか。
大いなる楽しみでもあり、大きな責任を負っていることも自覚している。
- うり、な
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2017.08.14 Monday
本日夏期講習は中3の8日目、夜に中1・2のターム8。
夜、生徒たちが勉強に励む姿を見ながら思い出したことがある。
以前にも記事にしたことがあるかもしれない。
あるとき、入塾の問い合わせがあって、母親が塾に来た。
塾について軽く説明したあと、教室の中を見せてほしいと言う。
こういうリクエストは、実は珍しい。
珍しいが断る理由も隠すこともないので、自由に塾内を見てもらった。教室だけでなく、トイレなども見ていた記憶がある。
ひとしきり見終わって、その母親は私に尋ねた。
「この塾の『売り』って何ですか」と。
こうした質問は全く初めてだったので、答えるのが難しかった。
しばらく考えた後、私はこう答えた。
「うちの塾の『売り』は、通っている生徒がまじめに勉強に取り組むことです」
すると、その母親は「ふん」と鼻で笑った。
まちがったことを言ったのだろうか。鼻で笑われるようなおかしなことを言ったのだろうか。
この、鼻で笑われた一瞬のことが今でも頭にこびりついて離れない。
塾の『売り』とは何なのか。
○○メソッドとか××システムとか、そういう歯切れのいいもの(?)があれば良かったのかもしれない。
ただ、『売り』は?と問われて、一瞬答えに詰まったものの、最初に私の頭に浮かんだのは塾生たちの顔、勉強している塾生たちの姿だった。
確かに塾生たちは塾の商品ではない。
だが、岡島学習塾は生徒たちがまじめに勉強に取り組み成長しようとする場所だ。
何なのだろう。
残り続ける、くすぶり続けるこの違和感は。
ただ単に、鼻で笑われたことが私は悔しかったのだろうか。
「売り」となるものを即答できなかった自分の未熟さを恥じているのだろうか。
わからない。
- とくべつなことはなく
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2016.12.30 Friday
本日冬期講習は中3の9日目、科目は理科と社会。中1・2はターム4。
中3自習組はいつもどおり午前9時に勉強開始。
平常授業こそ休講になっているが、塾全体としてはいつもどおり動いている。
年末年始のムードも、塾の敷地に入ってしまえば全く関係ない。
こういう点ではド田舎で立地の悪い(と他人にはよく言われる)ことが逆に幸いしているのかもしれない。
受験生にとっては、大晦日だろうが正月だろうがやるべきことは変わりがない。
大晦日だとか正月だとかいうのは世の中の都合であって、受験生の都合ではない。
もちろんお家の方にとってはたいへんなことだ。
ただ、生徒たちが年末年始に自宅にいて、塾にいるのと同じように勉強できるだろうか。
これに関しては、生徒たちをいくら信頼していると言っても、別問題だ。
明日も朝9時から。
勉強に打ち込む。
- 復習!
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2016.12.28 Wednesday
本日小6、中1。講習は中3の7日目、科目は社会と理科。
中1英語はprogram10の単語テストを実施してから本文解説へ。
次回は続きで。
中1数学は空間図形、回転体の基本的な解説を行った。
中3は社会と理科が続く日程にしてある。
両方ともテストゼミ形式で進めているが、点数がとれていない。
単純な知識問題にしてもボコボコとミスが出る。
12月の頭から毎日勉強に来ている自習組の多くも、全くもって出来が悪い。
問題集を解きすすめているのはわかっているが、学習記録を見ていると復習が済んでいないところが多いのだ。
復習の仕方にしても、参考書を読んでいるだけ見ているだけ、という感じの生徒も多い。
それでも、参考書などをよく読むようになっただけ、以前よりもかなり良くなってはいる。
後は手で書いて定着させる復習の量も増やしていかないとだろう。
毎年、計算用紙が入れてある箱が空っぽになる頃に、生徒たちの知識は定着してくる。
今年はまだ、計算用紙がほとんど減っていない。
復習の量が足りていないのはそんなところからもわかる。
もっと復習に追われていい。
さあ、復習!
もりもり書きまくるのだっ。
- たっぷりくりかえす日
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2016.04.04 Monday本日小6英語、中2、高校生。
小6英語はアルファベットとローマ字の基本をたっぷり練習。
うちの塾の英語は書く量が多いが、4月はその中でも繰り返し練習が多くなる予定だ。
ここですらすら書けるようにすることで、メインのテキストに入ったときにまごつくことがなくなる。
中2英語はprogram1の本文解説が終了。次回は音読トレーニングの予定。
中2数学は単項式の乗法と除法の問題をたっぷり演習。繰り返し繰り返し解く。
英語の本文解説を早めに終えたので、時間も長くとることができた。
前回休んだ生徒もきちんとこなすことができていたし、ひとまず良かった。
これで計算パートを終えて、次回から次に進むことになる。
単純な繰り返しが必要な時期がどうしても必要な時はあって、そこは生徒たちが集中して取り組まないといけないところだ。
繰り返しを繰り返しに見せないために、少しずつ手を変え品を変え、全く同じメニューにしないというやり方もある。
しかし、あえて単純な反復を徹底させることが重要な時期というのがあるのだ。
その繰り返しの中で生徒たちがつかむものは、そのあとに堅固な礎となる。