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意地が悪い?

本日小学算国、中2、高校生。

 

中2英語はprogram2の本文解説。

 

教科書を忘れた生徒が「教科書を忘れてしまいました」と言うので、「はい、わかりました」とだけ答えておいた。

 

授業に入ると、この生徒、教科書がないので音読ができない。

 

ん?

 

意地が悪い?

 

まあ、確かに意地が悪い。

 

今日の場合、教科書がないと授業が成り立たないので最後には予備のものを貸したが、やはり「教科書を忘れたので貸してください」とか「教科書を忘れたのでコピーしてくれませんか」と言うように、もう一押しほしい。

 

生徒たちに最初からそういえば済む話だが、それでも生徒自身で気がついてほしい。

 

中3クラスでも同じようなケースが数回あって、そのときは教科書メインの授業ではないので貸し出しもしなかった。

 

自分の状況はこうで、こういうふうにしてほしいという意思表示ができるようになってほしい。

 

生徒が言うべきことを、こちらがあらかじめ指示してしまえば楽は楽だが、生徒自身の意思表示という面から見ると生徒自身の成長はあまり感じられなくなるだろう。

 

こういうことを「生徒をしつける」と言ってもいいのかもしれないが、実際のところ、しつけでもないような気がする。

 

塾は勉強をする場所だ。勉強を教えるだけの場所ではない。生徒自身が勉強する場所だ。

 

そのために必要な意思表示ができるようになることも勉強することの一側面のはず。

 

生徒自身の勉強にとって必要なことならば、私は生徒自身にその行動をとるように要求する。それだけのことだ。

 

いつも言うように、躾の行き届いた生徒が成績を伸ばすのではない。

 

勉強に真面目に取り組めるようになることで、生徒自身の行動が律され、やがて成績が伸びてくる。

 

そのほうが自然な気がするし、そうでなかったら、最初から躾の行き届いた生徒だけが成績を伸ばすことになる。

 

人格の伸びによって学力を伸ばすのではないはずだ。

 

学力を伸ばすための努力が、その人格をかたち作る。そしてその人格がよりよく磨かれるような努力ができる生徒になってほしい。

 

 

author:おかじま, category:塾その日その日, 22:57
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