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過去問演習会Round3
本日中1、高校生。

中1英語はprogram11の本文解説終了。これで教科書の解説はすべて終えた。

次回音読トレーニングで仕上げていく。

中1数学は資料の活用。

平均値、中央値、最頻値についての解説・問題演習。

計算が面倒なところもあるのでミスも出ていたが、とりあえず一通り解説し終えた。

次回もう一息進めて、教科書内容を終えたい。

でもしかし、だ、次回終わるか、来週の土曜までかかるか。うーん。ちょっと読めないな。




中3は午後に過去問演習会第3ラウンド。

理科・社会が弱い。本当に弱い。

まだまだ入試問題を解いて満足いくレベルまで仕上がってこない。

格好をつけた勉強をしている生徒に限って基本的なところでミスをしている。

今日はさすがに生徒たちに対して檄を飛ばした。

この時期にはあまりしないことだが、刺激となってくれることを願う。
 
author:おかじま, category:塾のこと・考えること, 23:07
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ちょっと書いておくことにした
 生徒たちもそうだし、お家の方も、検定に関しては興味があるようで、実は今日、数件そのことについて聞かれたので、検定についての岡島学習塾の考えについてちょっと書いておくことにした。

岡島学習塾は、英検や漢検などの会場にはなっていない。

そういう塾がこの近辺にもたくさんあるのはわかっている。

うちも実は、かなり昔に英検の準会場になっていたこともある。

なぜ取りあつかいをやめたかというと、事務作業がかなり多くなってしまい、そのほかの業務に差し支えが出るおそれがあったからだ。

また、検定を実施して、生徒たちが検定に合格しても、大してメリットがないのも大きな理由だ。

「検定を持っていると受験に有利だ」という噂は昔からものすごく流れている。

だが、実際のところ、そこまで大きな得点にはならない。漢字や計算をちょこっとミスすれば帳消しになるくらいの点数でしかない。

県立の上位校の場合はできる限り検定などの点数を低く抑えようという考えが透けて見える。

私立高校の確約の際のプラス項目にあがることもあるが、ほかにも加点項目は多くあるし、上位のコースには加点そのものがない高校も多い。

したがって、現状として、検定が受検に有利に働くというのはウソではないがそこまで大きな意味を持つものではない。

もちろん、漢検や英検などは、個人の勉強の励みにはなるので、各自が実力を試すチャレンジとしてはいいものだと思う。

しかし、受験のため、就職のため、というのは本来の検定の意味を損なうと私は考えている。

そんなわけで、岡島学習塾としては、検定を塾のカレンダーに組み込むことは今のところ考えていない。

もし、検定が受検に有利というのが確実なら、うちの塾だって何があっても検定を受けるようにする。

これは間違いない。

しかし、現状ではそんなことはないのだ。

であれば、塾で受験するのではなく、個人で自分の実力を試すように別会場で受けるようにする方がいい。

英検を受けるから、漢検を受けるから、塾で指導してほしいと言うリクエストにも応えるつもりはない。

自分自身で検定の準備をしていて質問があるというのならいくらでも応える。

だが、今の時間割で一杯一杯なのだ。

とてもじゃないけど英検や漢検の指導はできない。

しかも、もし、うちの塾で本格的に検定の指導をするなら、準備に約3週間程度かけて、毎日2時間前後はみっちりやることになる。もちろん宿題もたっぷり出す。

それでも良いならやるのだが、おそらく「そこまでは…」と敬遠されるだろう。

でも、付け焼き刃で受かった検定が、なんの実力を証明できるだろう。

それこそ意味のない検定になってしまうではないか。

今の検定のありかたは、中学生たちに関して言うと、いろいろ矛盾をはらんでいるような気がしてならない。




author:おかじま, category:塾のこと・考えること, 22:57
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やっぱり区切りとなる日
 今日は死んだ父の命日。

1999年の7月6日、父はこの世をを去った。

今年で13年か。

私が小学3年の頃に岡島学習塾はスタートした。

その当時は岡島英数塾という名前だった。

私ももう今年で40歳となるので、いつのまにか私が塾を引き継いでからのほうが長くなった。

一日一日、とにかく目の前の仕事に誠実に取り組もうとしてきたつもりだ。

ここまでやってこられたのは、何よりも、岡島学習塾に通ってきてくれた、そして今通ってくれている生徒たちのおかげだ。もちろんお家の方々のおかげでもある。

感謝しております。




やっぱり区切りとなる日だ。朝からいろいろな思いがぐるぐると頭の中で渦巻いている。


author:おかじま, category:塾のこと・考えること, 22:57
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うまく言葉にできない
 今日は授業は入っていない日。

生徒は誰も来ないということで、事務仕事をぼちぼち片付けておいた。




1年前の今日。

合格発表の翌日で、前の晩はビールをたくさん飲んで酔っ払って寝て、そして遅く起きた午後だった。

その日を境に日本は明らかにフェイズを変えたと思う。

表面上では「絆」がもてはやされているが、大きく見れば日本の社会の「亀裂」が露見したように思える。

自分には何ができるだろう。

いつもいつも問いかけてきた気がする。

自分は所詮は傍観者なのか。何もできない人間なのか。

結局仕事も1日も休むことなく続けてきた。

だからなんなのだと言われればそれまでなのだ。休もうと思えば休める日なんていくらでもあったのだし。

それでも、だ。

あれから1年、大変な1年だった、などとと言える脳天気さは持ち合わせたくない。

2012年の今日が何の区切りだというのか。

僕にはよくわからない。

うまく言葉にできない。

author:おかじま, category:塾のこと・考えること, 22:20
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塾の建物のはなし
 本日は祝日のため授業は休講。

高校生は朝から自習に入れ替わり立ち替わりやってくる。1日中こもっている生徒もいる。

私は午後からやるべき作業を少しスローペースで進めているところ。

職員は休んでも自分のやるべきことは休まずやっておかなければならない。

まあ、自宅敷地内に塾があるので、365日気が休まる日はないのだが…。

自分ではそれはそれでいいとは思ってる。

なんと言っても、通勤時間はゼロ。

生活リズムが整えやすいこともメリットだろうか。





岡島学習塾は、私の自宅の敷地内の、ほんのちいさいプレハブの建物から始まった。

トイレを使うために私の自宅に生徒がやってくる。私の小学生時代、この塾はそんな感じで始まった。

いつしかプレハブ教室は2つになった。このプレハブも今はもうない。

私が中3の時に今の塾舎が建った。それからリフォームを繰り返して使用している。

生徒が休み時間に飛び跳ねて壁に穴を開けたこともあったっけ。



自宅も私が大学に上がるときに新築していて、今、高等部で使っている自習室は、古い自宅を改造して使えるようにしてある。

私が中学生の頃に使っていた机も、実は数年前まで使っていたんだよなあ。机の上で飛び跳ねてへこみがいくつかある机。



さ、もう少し仕事をして、うちに帰って、おいしいビールでも飲もうか。
author:おかじま, category:塾のこと・考えること, 19:05
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伝えていく
 実は、6、7年くらい前から昨年くらいまでは迷い続けていた。

自分の授業の中で、授業の中身以外のことを生徒に話すべきかということだ。

勉強することの意味やら、世の中の見方やら、ある種の人生観やら、いわゆるひとつのモチベーショントークといったことを、だ。

まず、語るだけの資格が自分にあるのかどうかということだ。

世の中のすべてがわかっているわけでもあるまいし、生徒を相手に偉そうに話すだけの資格が自分にあるのか、ある日突然思い当たってしまったのだ。

未熟な自分が伝えられることなどあるのかとも思った。

また、授業だけで生徒を引っ張っていけないようでは、あまりに中途半端ではないかと考えてもいた。

それでここ数年は、授業の中身以外のことを話すのはごくごく最小限にとどめていた。




しかし、昨年くらいからは、授業の中身以外のことを話す時間を意識的に増やしている。

やはり、話さなければ伝わらないのだ。当たり前だが。

語るだけの資格?あってもなくてもかまわないじゃないかと思うようになった。

図々しくなったともいう。

世の中のすべてをわかっている人間なんているわけはないのだ。

何かの縁があって、よその塾ではなく、岡島学習塾にやってきたのだ。

ならば、私が私として生徒に伝えていかなければ何の意味もないのではないか。

私はまだまだ未熟な人間だ。

今までも、これからも、様々な失敗を繰り返すだろう。

それでも、未熟であるがゆえの発展途上のひとりの人間として、生徒の前にたつひとりの人間として、伝えられる限りを伝えていこうと最近は考えている。

もちろん、私自身は今いる場所にとどまってはいけないのだ。

自分を鍛え、磨き、深め、成長させていかなければならない。

それが最低限の私のつとめのはずと考えている。

きれいごとにはしたくないとも考えている。
author:おかじま, category:塾のこと・考えること, 23:36
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ときどき考えること
 ときどき考える。

いろいろなところで、「成績が上がる生徒」のようなかんじでいわれていることがある。

よく目にするのは…

素直な性格。
姿勢がよい。
先生の顔をよく見て話を聞いている。
ノートやメモをしっかりとっている。
宿題などを忘れずにやってくる。
あいさつがしっかりできる。

など、ほかにもあるかな、今思いつくのはこんなところだな。

でも、ときどき考えてしまう。

こんないわゆる「いい子」じゃないと勉強ってできるようにならないのだろうか。

素直じゃなくても、姿勢が良くなくても、先生の顔を見ていなくても、ノートやメモをとらなくても、宿題をやってこなくても、あいさつができなくても…

それでも勉強をしっかりやって結果を出す生徒っていていいんじゃないだろうか。

教える側の「枠」をはみ出す生徒がいてもいいんじゃないだろうか。

…。

現実的には、上記のすべてがそろわないとしても、ある程度条件が当てはまっているようじゃないと、成績を伸ばすことができないとは思う。

思うんだけど、内心待っている。

「自分にはこの宿題は必要ないのでやらない」って言う生徒。

「定期テスト対策に全力を尽くすから、この宿題は今はやらないよ」なんて言う生徒。

ノートなんてもっていやしないが自分の限界まで勉強している生徒。

あるいは、こんなにちっぽけな私という人間の想定を超えるスケールの大きな生徒。

ときどき考えるのだ。

無駄な空想だろうか。
author:おかじま, category:塾のこと・考えること, 23:04
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かくしあじ
 中3自習組は朝9時から夜11時まで勉強し続けた。

途中食事をとりに帰宅する生徒もいたから、まるまる勉強したわけではない。

ちなみに、岡島学習塾では、長時間勉強するときは、50分か40分を一コマとして考えて、一コマ勉強したら10分休憩というリズムで勉強していく。

ぶっ続けで2時間、3時間勉強し続けるのはよくないというのが私の考え。

埼玉県の入試は、国数英が50分、理社が40分の時間設定だ。

ということは、50分なり40分なりの限られた時間の中で、集中力をぐっとアップさせたり、休憩をとって切り替えるという作業をしなければならないわけだ。

だから普段の勉強時間も50分と40分の組み合わせでやっていくようにしている。

普段の勉強で2時間集中し続けても、集中のピークが勉強をはじめて1時間半後にやってくるようでは意味がないのだ。

集中のピークを試験時間中に持ってくるようなトレーニングが必要になる。

これが本番で実力を発揮できるかどうかにも関わってくると思う。

これが高校生になれば、90分一コマくらいでやり続けるトレーニングが必要だろうし、大学生になれば100分、120分くらいの時間の取りかたになるだろう。

勉強し続けるには、それなりの工夫が必要だと思う。

これからも勉強を続けていくことのできる「勉強のしかた」を身につけることも、岡島学習塾では、受験勉強の大きな意味だと考えている。

この時期になって、受験ってのは結果だけじゃないんだって言っても、当事者である受験生本人にはあまり響かないと思う。

生徒たちは、目の前の点数や合格という結果にとことんこだわって勉強するべきだ。

その一方で、教える立場にある人間は、生徒たちがそこだけで燃え尽きずに、その後もしっかりやっていけるようになる「なにか」をいわば「隠し味」のように生徒に伝えられていなければいけないと思う。
author:おかじま, category:塾のこと・考えること, 23:34
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勉強は楽しい?のか
 「勉強は楽しい」ということばが、教える側の誘い文句になってはいけないと思う。

もちろん個人個人が「勉強は楽しい」と感じて勉強に打ち込むことにはなんの異論もない。

ただ、勉強したくない生徒に向かって「勉強は楽しい」と言うときに、そうした生徒にとっては、勉強の「楽しさ」が、あたかもディズニーランドなどに行く「楽しさ」と同列になっているような気がするのだ。

また、教える側が「勉強は楽しい」と言うのは、生徒というものは、楽しいから勉強する、楽しくないから勉強しないという基準で行動するという思い込みがあるのではないか。

楽しいか楽しくないかという、快・不快によって生徒を行動させて、やがてその生徒が社会に出たときにどうなるのだろう。

快・不快だけで行動する大人、周りから見れば「まだまだ子どもだな」と思われてしまうはずだ。

教育が人を成熟させる営みならば、快・不快を超えたところで生徒を勉強に向かわせるだけの説得力を教える側が持たなくてはならない。

私は、もっともっと自分自身を鍛えなくてはならない。
author:おかじま, category:塾のこと・考えること, 23:34
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北辰も統一模試も
 先ほどの記事とはカラーが違うので別の記事にしました。

以前も書いたかもしれないが、うちの塾の中3生は、北辰テストと統一模試と2種類の模試を受ける。

なぜふたつの模試を受験するのかということについて書いておこうと思う。

北辰テストは歴史も長いし(保護者の方でも受験した記憶がある方いますよね)、受験者数も多く、豊富で細かいデータが存在する。

うちの塾に現存している一番古いデータは平成5年に北辰図書から刊行されたもの。

ちなみに埼玉県から毎年出されている入試分析のデータは、塾には昭和63年のものから残っている。

しかし問題がある。北辰テストの出題傾向は、埼玉県公立高校の出題傾向とは大きくかけ離れているのだ。

したがって北辰で偏差値が良くても、実際の入試では点が取れないという現象が起きてしまう。

こうした現象を防ぐためにも、岡島学習塾では、実際の入試をにらんでもう一つ、統一模試を毎月受けているのだ。

統一模試は、最初は全国版で、そして、埼玉県版が発行される7月からはその埼玉県版で受験する。

この埼玉県版は、実際の公立入試とそっくりの問題なので、中途半端に過去問に手をつけることなく、埼玉県の入試の形式に慣れることができる。

そうした中で、志望校の合格可能性を確認していく。この模試のデータも平成7年度から塾に残っている。

国語の作文、数学の証明、作図、英語の長いリスニング問題など、本番と同じような形式の問題を毎月練習できるのだ。

そうやってふたつ受験することで、北辰と統一模試との点の取り方のギャップなどからも、勉強の課題が見えてくる。

これはけっこう大事なことだ。ほかの塾にはない進路指導ができる。

ふたつの模試を受験する意味は大きい。


author:おかじま, category:塾のこと・考えること, 23:30
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